
パーマンの絵描き歌について
| パーマンの絵描き歌をご存知だろうか。 幼い頃、学校で黒板にパーマンの絵を描こうとして、 途中でのっぴきならない状況に陥ってしまった思い出がある方もいるだろう。 その歌詞を説明すると、こうである。 とんがりくちばし ことりさんことりさん あんぱんふたつ たべちゃって おなかがいっぱいになっちゃった(ころりんこ) それをみていた おおかみがおおかみが めだまをぎょろり ひからせて おくちをあけてねらっていた 「そんなことはさせないぞ!」 ぼくらのパーマン できあがり ころりんこ、の部分で大抵の小学生は泣くハメになるのだが、ここでは触れない。 問題は詞の内容である。 一見、正義感と義侠心に満ち溢れている、パーマンの優しい性格を表した素晴らしい歌だ。 ヒーローは常にチビッ子たちの模範たるべきである、という気概が伝わってくるようではないか。 しかし、ここで歌われているパーマンは、本当に模範とすべき好人物たりうるのだろうか。 今一度じっくりと歌詞を味わって、検証していきたいと思う。 とんがりくちばし ことりさんことりさん まず出だしの部分だが、ここは特に問題ない。 ただ、ここで知っておいてほしいのは、「ことり」というのは小鳥、すなわち小さな鳥のことで、 雛鳥を指すものではないということだ。責任能力のあるの立派な成鳥である。 あんぱんふたつ たべちゃって ここで、小鳥があんぱんなんて食うのかよ! というツッコミが入る。しかも2つ! おなかがいっぱいになっちゃった(ころりんこ) おなかがいっぱいになっちゃった。当たり前だ。 明らかに自己の許容範囲を超えた分量の餌をたいらげ、案の定、動けなくなって敵に危険を晒している。 これは野生動物としてあるまじき行動である。 それをみていた おおかみがおおかみが めだまをぎょろり ひからせて おくちをあけてねらっていた 野生動物としての本分を忘れ怠惰に過ごす小鳥を喰ってはいけない、というルールは自然界には存在しない。 いかにも丸々と太った小鳥が動けないでいる。それを目撃すれば襲い掛かるというのは、 遺伝子に組み込まれた彼らの本能である。 めだまをぎょろり ひからせて…よほど腹が空いていたにちがいない。 おくちをあけてねらっていた…もしかすると、これは久々の獲物だったのかも知れない。 あるいは、巣に帰れば子どもが腹を空かせて待っているのかも知れない。 彼らが肉食である以上、他の動物を食わねば生きてはいけない。 それが自然の掟だ。 それは善悪を超越した断固たる規律である。 むしろこの場合、悪いのは危険を忘れた小鳥の方だろう。 だが、パーマンはそうは思わなかった。 「そんなことはさせないぞ!」 彼がこの台詞とともに何を行ったかは定かではないが、 文脈から察するに、狼の手助けをしたわけではないことは明らかである。 おそらく小鳥を救出したのだろう。 狼はどうなったのだろうか。 放っておけば、また別の動物が襲われるのだ。 狼は彼に 殺された とするのが妥当かも知れない。 この歌を聴いていると、くもの巣に引っかかった蝶々を逃がしてやる子どもたちの姿が思い浮かぶ。 彼らは得てして、くもの立場になって考えようとはしない。 物事の一側面だけを見て満足している。 そう、この行動は独善的な自己満足に過ぎないのだ。 パーマンは小鳥を助けたが、その後どうしたのだろう。 あんぱんを2つも食べて身動きがとれなくなったほど、危機管理能力に乏しい小鳥である。 また同じ過ちを繰り返す可能性もある。 パーマンはこの小鳥に襲い掛かる危険を、その都度排除していくつもりだろうか。 他の小鳥についてはどうなのだろう。 果たして彼には、小鳥を守り狼を排斥する正当な理由があったのだろうか。 …………。 この歌には、あるいは「こんな独断主義的な考え方はするな」という逆説的な教訓が込められているのかも知れない。 しかし、この歌を聞いた子どもたちはどう思うだろう。彼らはどんな大人に育っていくのだろうということを 考えたときに、わたしは、目の前にある事象しか見えていない近視眼の環境保護団体や動物愛護団体の 姿を思い浮かべ、背筋がうそ寒くなる思いさえするのである。 |